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​応援メッセージ

​一矢さんを応援してくれる仲間たちから、暖かいメッセージを頂きました。ここで紹介させていただきます。

宍戸大裕 (映画「道草」監督)

一矢さんがまだ津久井やまゆり園・芹が谷園舎にいた頃のこと。ご両親がお弁当を持って園を訪ね、お昼ご飯を一矢さんととるのについていかせてもらって何日目かの時。一矢さんが「おじさーん」と僕のことを呼びはじめました。一矢さんは僕より9つも年上、それにまだ30代半ばだった僕にはその呼び名への抵抗があり、何と答えたものか「うふふ…」と曖昧に笑っていると、機嫌よさそうな「おじさーん」という呼び声が続きました。ご両親によれば僕の雰囲気が父・剛志さんの弟さん(一矢さんから見れば叔父さん)と似ているそうで、一矢さんのことを可愛がっていたその叔父さんのことを思い出しているのでないか、というのです。以来現在まで、僕は一貫して「おじさん」です。 時々、一矢さんはどこか一点を眺めながらジっとされる時があるのです。そんな時、僕には老子の一節が浮かびます。「大音は聲希く、大象は形無し」(『老子』徳経下 同異第四十一)その意味は、大音は人間の耳には聞こえず、声の無いように思われている。無限に大きいものの像は人間の目には形として捕らえられない、と説明されます(『老子・荘子 上』新釈漢文大系、明治書院)。一矢さんは僕が見えていないものをいま眺めている、僕が聞こえていない何ごとかを聞いている、そう思う瞬間です。介助者付きのひとり暮らしを始めた一矢さんの元をある日訪ねた時のこと。一矢さんと介助者の大坪さんと3人でフードコートへ行きました。何と言っていたかは忘れましたが、一矢さんは繰り返し大きい声を出していました。その都度、一斉にこちらを向く客の顔。一矢さんは何ものかに呼ばれていて、それに応答していたのかもしれませんが、呼び声の聴こえない僕にはただ一矢さんが大きい声を出しているようにも思え、平気な顔をしてはいましたが内心の気恥ずかしさ、ざわつきは忘れることができません。このざわつきの生れるところを考えつづけることは意義あることで、忘れなくていいことだと思うのです。 芹が谷園舎にいた頃、一矢さんの表情は固く、能面のように見えることもありました。しかし生活の場を変えたいま、様々な場へ出かけ、たくさんの人と出会い、いくつもの経験を重ねたその表情には深い陰影が差しています。目に光が宿り、うふふふふと笑顔になられると「破顔一笑」とはこんな時に使うのかと、それはもうたまらない喜びです。 

一矢さんがどこか一点を眺めること 、大きい声を出すこと、笑うこと。それは僕自身のいまを照り返してくれる、光のように感じます。声を持たない障害のある人と出会う時、高見順の詩「光は声をもたないから光は声で人を呼ばない 光は光で人を招く」を思い出します。一矢さんは声で人を呼んでくれますが、その存在の光に招かれていると感じることがあります。人間はもっとひろくてふかくて豊かでいいものだと。無限に変わりゆくことのできる光であると。一矢さんと会う度に僕は人間を信じたくなるのです。                                  おじさんこと 宍戸大裕 

山川宗則(介助者・呼及舎)

一矢さんからは「和尚(おしょう)ちゃん」と呼ばれています。現在のアパートでの自立生活を始める頃に一矢さんとお会いした瞬間、ニコッと私を見て「和尚ちゃん」と呼ばれ、そのまま今に至ります。なぜ「和尚ちゃん」なのか、理由はシンプル(?)。私が坊主頭だから。しかし皆様すぐお気づきのように、坊主頭の人はこの世界にたくさんいらっしゃいます。私は一矢さんにとって、ただ一人の「和尚ちゃん」ではなく、3代目「和尚ちゃん」となります。私と一矢さんが出会う前に二人の「和尚ちゃん」がいらっしゃるからです。事件の後、テレビ取材で一矢さんの元に通われた録音部のスタッフの方も「和尚ちゃん(2代目)」と呼ばれていたそうで、自宅に飾られている写真の中にそのスタッフの方を見つけては「和尚ちゃん」とニコニコされていますし、学生達と一緒に自宅を訪れた大学教授の方も「和尚ちゃん(4代目)」です。みんな「和尚ちゃん」なのですが、一矢さんの中ではしっかり区別がついており、和尚ちゃん同士が同席しても問題ないようです。普段から一矢さんの好きな『忍者ハットリくん』を一緒に観ていると、エピソードの中に「和尚」がよく登場します。そういう時は「あそこにもここにも和尚がいるよー」「和尚ちゃん」と二人で大笑いしています。一矢さんの中では、私は「和尚ちゃん」であり「山川さん」でもあり、私が「和尚だから、お経を読んでみましょうか」と般若心経を諳んじ始めると「やめとくー」ときっぱり拒否されます。和尚は好きだけど、お経は苦手なようです。
 一方で私は一矢さんのことを「かんちゃん」と呼んでいます。最初に出会った時、一矢さんは私のことを「和尚ちゃん」と呼び、私は「何てお呼びしたら良いですか?」と順番に「尾野さん」「一矢さん」と呼び名をいくつか挙げて行きました。一矢さんは、どうもピンとこないような表情をされていました。同席されていたお父さん・お母さんから「かんちゃんが好きなようだよ」と聞かされ、私が一矢さんを「かんちゃん」と呼ぶと破顔の笑顔で応えてくださいました。そして、今に至ります。将来、一矢さんの中で「かんちゃん」という呼び名がしっくりこなくなった時は、また二人で一緒に探していきたいと思っています。
 このようにお互いの呼び名一つとっても、多くのエピソードやコミュニケーションがあり、日常生活の一つ一つの細部にお互いのやりとりがあります。無数で、双方向で、常に変化するコミュニケーションとお互いの関わりの中で、生活が育まれていきます。これは一矢さんと私だけの話ではなく、社会で生きる私たちの話です。
一矢さんのお腹の傷は「意思疎通ができない人間は生きる価値がない」と考える者によるもので、私も日常生活の中でその傷を目にします。一矢さんは生活の中ではっきりと意思を表現し、私と一矢さんは常にコミュニケーションをしています。傷は今も残り続けていますが、他者と他者がお互いに敬意を払い、日常のささやかな細部を創り出していく、そのような生活の営みの中で、一矢さんと私たちはともにゆっくりと歩いているのです。 

川田八空(介護者)
「よってけ一矢んち」というキャッチフレーズの発案者です。一矢さんが地域で自立生活を始めた時から、丸3年間、毎週水曜と土曜の夜勤を担当していました。

コロナ禍で人と会うことが難しかった時期、一矢んちで一矢さんと共に過ごす時間にとても救われました。彼は事件で悪意を持つ他者から刺されました。そんな事件があっても、一矢さんは人が好きで、家に遊びに来てくれる人を歓迎します。そんな彼のことをぼくはすごいと思っているし、とても尊敬しています。そんな彼への想いから、「よってけ一矢んち」というフレーズは生まれました。ぼくは一矢さんの現場を去りますが、いつか、今よりフラットな関係で気軽に一矢んちに立ち寄る機会を作れたらいいな、と思っています。別れは寂しいけど、今後もお互い元気に頑張ろ!これからも、のびのびのんびりと一矢さんらしく地域で生活できるよう祈ってます! 

NPO法人宝島 米田真由美

ようこそ「たからじま」!そしてこれからも「たからじま」!「たからじま」への通所が始まって3年近く経ち、「たからじま」の仲間や職買ともすっかり慣れて甘え上手な一矢さんです。日々の日課として午前中は CDやDVD をケースから取り出してリサイクルするために分別する作業を行っています。隣に職員が一緒に座って取り組むと集中力抜群!さすが甘え上手です!午後は外出活動。一矢さんには、お昼の時間に※ドライプのから散歩ののどちらかを選んでもらいます。いずれの活動もだいたい7〜8人程度のグループで行動していますが、皆と一緒に楽しく参加できています。給食は特に好き嫌いせず、お箸を上手に使い食事されています。特にご飯とみそ汁は大好き!白飯にソースをかけて食べるのが好物で、おかわりして食べる程です。みそ汁もおかわりの定番です。通所開始当初の頃の不安げな表情や様子など今ではみじんもなく、笑顔の一矢さんを見ていると改めて、毎日の積み重ねが大事であるかを感じます。ようこそ「たからじま」へ、そしてこれからも「たからじま」でたくさんの楽しい思い出を作っていきましょう!

宝島でクッキー作りをする一矢さん

猿渡達明(神奈川県障害者自立生活支援センターキルクももはまピアカウンセラー)

事件のあとに、芹が谷いかない、怖い、いやだって、本人の声を聞いたり、障害児を普通学校へ全国連絡会の機関紙にも、誕生日の話を載せました。これからも、地域の方と私もサポートするので一緒に地域生活しましょう!

 

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深田耕一郎(女子栄養大学准教授)

一矢さんを真ん中にして、多くの人が思いをわかちあい、新しい道を切り拓いて行こうとされている実践に、尊敬の気持ちを抱いています。 私は2021年にいちど一矢さんのアパートを訪問させてもらいました。その後、いま勤めている大学の学生たちに、一矢さんの地域自立生活についての工夫やアイデアをレポートに書いてもらったら、学生たちの思考がとても活気づいて、本人たちも気づいていないような自分のユニークさやユーモアが引き出されていたことがあって驚きました。 

そんなふうに、一矢さんのお人柄や地域自立生活それじたいに、人間の新しい気づきや、ゆたかなかかわりをもたらす魅力が溢れているのだと思います。これからも、この未来を切り開く実践を心から応援しています。 

伊是名夏子(コラムニスト、「ママは身長100センチ」著者)

人と繋がることが大好きな一矢さん。事件の時も、人と繋がることを諦めなかったからこそ、電話を手にし、職員に渡してくれたのですね。 見習いたいと思うところがいくつもあるのですが、その中のひとつが「やめとくー」の一言。自分の意思を伝える、しかも相手を傷つけないような配慮を含みながら、やさしいけれど、ぶれない「やめとくー」。 人と繋がること、誰かとともに生きることに疲れたり、嫌になることもありますが、私たち障害者は、たくさんのサポートがないと生きていけません。だから自分を大切にするためにも、「嫌なことは断る」が生き延びための一つの手段でしょう。また相手を信頼しているからこそ、断れるのだとも思います。私もそんなコミュニケーションをしていきたいです。

いっぽんばしこちょこちょのような、誰とでも繋がれる遊びを持っているのも、一矢さんの強い所だと思います。 すべての人が自分らしく、好きな場所で、好きな方法で生きていけるよう、お互いにがんばっていきましょう。そしてあらゆる差別を見過ごさず、共に生き、支え合う仲間が増え続けることを願います。   

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大坪寧樹(介護者・自立生活企画)

 ちょっとしたやりとりや何気ない仕草が、たくさんの人たちの心を掴み、ときにそれは思いもしなかった人に希望を与えていたりしています。そんな存在感は、一矢さんの天性の物だと思います。

 

「生きていても仕方ない」人なんてどこにもいません。そんな当たり前のことを改めて、本当にその通りだと感じさせてくれる…なかなか出来るようで出来ない事です。

 

私も一矢さんに希望を与えられて救われた者の1人です。

 

一矢さんありがとう!

 

地域でお互いに支え合って生きていく同志として、これからもよろしくね!

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